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『真夏の夜の夢(監督:中江裕司)』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

  《シェイクスピア喜劇の舞台を沖縄の離島へと移し、人間と精霊との共存を讃える「真夏の夜の夢」。中江裕司監督は「目に見えない、理屈では説明できないものが、人間を豊かにしてくれる」と語った》

 というわけで、予告編を見て興味が湧きました。どんなファンタジーを見せてくれるのか、楽しみにしていました。

 でも、ファンタジーは所詮ファンタジーなんですよって、監督は言っているみたいです。どこか諦めているようにも感じる。

 人間を豊かにはしてくれるけど、「やっぱり、真夏の夜の夢でした」なんですね。




 主人公の何が変わったんだろう、どう変わったんだろう。そこがよくわからないです。

 別に変わらなくてもいいけれど、日常的に心にいつもマジルー(キムジン)がいるんでしょうから、彼女の人生を左右する存在じゃなくて、ただ暖かく見守ってくれている存在なんだって、ことなんでしょうね。

 で、沖縄の自然の中で育った主人公。う~ん、普通の人なんですね、というより、やはり島から出て行くべき人なのかな。

 不倫に疲れた主人公が、出身地の沖縄の離島に戻ってくるって設定なんだけど、その主人公に沖縄が感じられないんです。別に本土から来た人でも良かったんじゃない、って思ってしまうんだけど、どうなんだろう。

 主人公と精霊であるキムジンとのエピソードが綴られていく作品なので、沖縄の美しい海や自然が、当然のようにたくさん画面には映し出されます。島独特の結婚式とか、興味をそそられる描写も出てきて、素材としては抜群だと思うんだけど・・・。

 何か、フィルター越しにお話を見せられている気がします。

 どこか、監督と沖縄との屈折した関係を感じてしまうのは、私だけだろうか。観光映画でもないし、土着ぽくもなくて、その中間のところで、迷っている感じがするんです。

 もっと、思い切って、全てを肯定してしまえば、さらにスッキリとしたステキな作品が出来ると思うんですが、あくまで日常の延長上に存在するキムジンを意識しすぎているように思います。でも、それさえも、結局はファンタジーでオチをつけちゃうんですから・・・。

 そう、キムジン自体が、いまいちしっかりと設定されていないし、劇中劇とかは、お話の芯になる大事な部分だと思うんだけど、これもイマイチ突き抜けていない感じ。
 
 最後に雪が降るんですが、降らせ方がねえ・・・。結局は、感性の問題なのかもしれない・・・。

 キムジンは監督にとって一番遠い存在のように思えて、何か、とてももったいない作品のように感じました。


映画『真夏の夜の夢』予告編

タグ:中江裕司
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