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映画 (2009 鑑賞作品) ブログトップ
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『ヴィヨンの妻 〜桜桃とタンポポ〜』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

ヴィヨン.jpg

 根岸監督の作品はどれも、映画らしい映画として、私には特別な存在になっている。題材や内容ではなくて、映画としての佇まい、映画としての息遣い、映画としての存在感。

 とても漠然とした表現だけれど、私が今まで観てきた過去の日本映画の「間」みたいなものが、根岸作品の根っこの部分には息づいていて、それを感じたとき、何故かとても嬉しくなってしまう。いままで、そんな経験を何度もしている。それは映画館で観ても、ビデオで見ても感じることの出来る、もしかしたら、とても個人的な既視感なのかもしれないけれど・・・。

 この作品も、余りに当たり前に、映画なんだと感じる。でも、もう古いタイプの映画って言われても反論できないぐらい、時間だけは流れてしまっているんだよね。私は当然好きですが・・・。

 何か特別なものを表現しているわけではないけれど、登場人物たちの有りようを素直に受け止めてしまう自分がいて、「それもありなんだよな」と頷いてしまう。もう既に、私は罠にかかった状態になってしまっている。

 このドロドロした心地よさは、監督の必殺技かもしれない。

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 かなり身勝手でいい加減で、責任感があるのかないのか、つかみ所がない主人公と、運命のように振り回されても寄り添う妻。

 妻は、自分の意思でそこにいるのだから、始末に悪いって、思っちゃダメなんだよなあ。

 存在自体が異性を惹きつけてやまないゆえに、流されていく男と女。世間知らずではすまない行動も、すべては元の鞘に納まる、のかな。

 この夫あってこそ、次第に輝き、凛として存在する妻。男は作家だけれど、才能って自分の意志とは別に、背負わされるものだから始末に悪いんだよね。

 「タンポポ一輪の誠実」を出任せと答える作家に、あながち嘘でもないように感じた。出来るなら、出任せにしたい現実。

 しかし彼の出任せが、彼をあらしめ、彼を追い詰めて、今があるのも事実。

 作品には、共感しないけれど、認めざるを得ないものが、ずっしり詰め込まれていて、否定できない怖さが渦巻いている。人間の業と言ってしまったら、実も蓋もないけれど・・・。

 罠を仕込んだのは、脚本であり、役者であり、そして監督。

 褒めちぎる気にはなれないけれど、かなり行き着いたところに、あっさりと到達している「作品」のような気がする。




映画「ヴィヨンの妻〜桜桃とタンポポ 」予告



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『おっぱいバレー』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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 こんな先生だったら、いいなあ、などと画面に映し出される綾瀬はるかを見ながら思っていました。

 綾瀬はるか演じる、寺嶋美香子先生に先導されて、商店街や野山をランニングする中学の男子バレー部員たち、いい思い出がつくれただろうなあ、と思いつつ、単純にただそれだけで、この作品はOKだったりするわけです、私は・・・。

 新任してきた美香子先生は、男子バレー部の顧問になります。やる気のない男子パレー部員にやる気を起こさせようと、話をしているうちに、何故か地区大会で1勝したら、「おっぱい」を見せると言う、とんでもない約束に巻き込まれます。

おっぱいバレー2.jpg

 けっして、実際にはっきりと約束したわけではないけれど、これをキッカケに一変して、練習に打ち込む男子部員を前に、約束の反故を言い出せないまま時間は流れていきます。

 やる気のおきた生徒たちに、嬉しいやら、困ったやら、悩みながらも大会は近づいてきます。

 「だいたい、そんな約束なんて、あり得ない、不謹慎にもほどがある」と、なかなか言い切れない先生。そう、先生には、過去に他の学校で、女子生徒たちとロックコンサートに一緒に行こうと、うっかり約束してしまったことから、学校で問題になり、最終的には、生徒にウソを付いてしまうという、苦い経験があります。そして、この学校に転任してきたのです。

 「先生って、いい先生って、どんな先生?」。

 実は、この不謹慎な(とは思わないけど、映画館のチケット売り場で、ハッキリと映画のタイトルを言えない男も、結構いるのですよ)、タイトルを持つ作品は、そんな疑問を投げかける、真面目な映画でもあるのです。

おっぱいバレー3.jpg

 とにかく、まあ、限りなく果てしなく「性」に対して、興味を持つ年頃の男子生徒たちと、新任の若くてキレイな先生の話なんで、どうしても、話は、そっちに流れやすくはなっているし、実際、だからこそ、面白くも見ていられる。

そのうえ、背景となる70年代のヒット曲が、次から次に流れてくるし、ちょっとしたエピソードも懐かしいものばかり、その点では、飽きさせずに楽しく、映画を見ていられます。

 でも、私は、結構ウルウルしちゃったんですよ。美香子先生が、教師を目指すキッカケとなった恩師との出会いとエピソード。

 「いい教師とは?」を、模索する美香子先生。

おっぱいバレー4.jpg しかし、恩師と先生には決定的な違いがあります。恩師は、影になり生徒のために努力する、何も押し付けないように見せながら、生徒が自ら気が付いてゆくのを、じっと待つ。忍耐と努力の、暖かい心を持つ教師。

 一方、美香子先生は、生徒と仲良くなりたくて、打ち解けたくて、生徒の為になりたくて、ついつい、前に出てしまう、まだまだ若い、気持ちだけはやる気満々の先生。

 そうですね、美香子先生が恩師の境地にたどり着くには、まだまだ試練が必要みたいです。

 でも、私みたいな男子生徒に、いい思い出を作ってくれるのは、きっと美香子先生みたいな先生だと思います。

 結構、前向き、行動派、勢いで走り出しちゃう美香子先生。そこが、可愛いんだよなあ。そこが人間的でステキなんだよなあ。(^_^)

 ・・・・・・と、以上が私が最初に書いた『おっぱいバレー』の感想。

 私には珍しく「ストーリー」と「綾瀬はるか」に対する思いばかりの文章です。映画の「出来」とか「質」とかには、全く触れていない・・・、で不思議な事に、観てからかなり時間が経った今でも、「出来」とか「質」については、書こうという気持ちにはなれない。(^_^;)

 どうも私は「綾瀬はるか」が、大のお気に入りのようです。

 『ICHI』は映画作品として、基本的な部分で気になることが多かったので、ついついケチを付けたくなったけれど、この作品のレベルの出来なら、何も文句は出てきません。(^_-)-☆

 だって、「綾瀬はるか」が可愛いんだもん、全部OKです。^_^;
 
この感想は、「ここちいい場所」から転載しました。



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『3時10分、決断のとき』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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 久しぶりに西部劇映画を観た。

 つい西部劇と言うと、スカッとした後味の娯楽作としての西部劇を想像してしまう。しかし、作品としての評価の高さゆえに、日本でも公開なんだろうなあ、と心のどこかで覚悟をしていた(オイオイ)。

 で、まさしく、真面目な西部劇だった。そして男の「誇り」を描いた、見応えある作品だった。西部の悪名高い強盗団の首領と、彼を刑務所行きの汽車まで護送しようとする牧場主の物語。

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 往年の西部劇へのリスペクトとか、ニュー・シネマ・ウェスタンへのレクイエムとか、なんかカッコいい言葉を選びたくなるけれど、極めてオーソドックスに正攻法でぐいぐい観客を引っ張っていく展開は映画として素晴らしい。

 確かに銃撃戦も見応えあるけれど、それだけではない。いわば人間ドラマの西部劇。

 話のメインとなるのは、牧場主。妻と2人の息子のために借金に追われ、いつのまにか長男には軽蔑のまなざしを向けられていると感じる彼は、家族のための金の工面と自分自身の威厳を取り戻すため、護送を買って出る。

 首領を鉄道の駅まで護送しようとする一行と、ボスを奪い返そうと追う強盗団。 護送する一行には、他に賞金稼ぎや医者や鉄道会社の重役などがおり、一筋縄ではいかない首領との駆け引きや、途中から一行に加わる牧場主の長男との関わりなど、かなり人間が描きこまれていて、ラストに向かって心理ドラマさながらに話は進んで行く。

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 映画は、それぞれの登場人物たちの思惑や心理に比重が置かれているので、西部劇だと言うことさえ忘れてしまうほど。

 3時30分とは、首領を乗せる列車が駅に到着する時間。その寸前まで、いや列車が走り出すぎりぎりまで、登場人物たちの思いが錯綜し、事態は混迷し、緊迫した時間が流れていく。

 ラッセル・クロウが強盗団のボスを、クリスチャン・ベールが生活に窮する牧場主を演じているのだが、とにかく役者が揃って素晴らしい。

 初老の賞金稼ぎを演じたピーターフォンダも味のある渋い演技だし、強盗団の副頭目を演じたベン・フォスターの偏執的で不気味な存在感も光っている。

 実はかなり重苦しい映画という気もするんだけれど、作品の中では一服の清涼剤のように存在していたのが、皮肉な事に牧場主の長男ではなく非道な副頭目だったのも面白い。これは演じているベン・フォスターに負うところが多いかもしれないが・・。

 追う側も追われる側もそれぞれ登場人物たちの思いや行動が、状況によって変化していく中(そこら辺がこの作品の見どころなんだけど)、唯一彼は最後までボスを慕いその信念を貫き通した。まるで一途な子供のように。



 8月公開で、もうDVDやブルーレイが出ちゃうんですね
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『のんちゃんのり弁』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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【あらすじ】 ダメ亭主に愛想を尽かし、31歳の小巻は娘のんちゃんと共に東京下町・京島の実家に出戻るが、なかなか仕事が見つからない。 ずっと専業主婦だった小巻の唯一の才能はお弁当作りで、娘に作ったのり弁が幼稚園で大評判に。 ついに弁当屋を開くことを決意し、小料理屋に弟子入りするが…  「象のロケット」より

のんちゃんのり弁3.jpg

 手馴れた演出でテンポもちょうどいいし、役者も揃っているし、料理も美味しそうに出てくるし、何も問題はないところが、反対に問題なのかも・・・、なんて天邪鬼な気持ちにはならない。

 ここちいい映画です (^_^)

 しかし、なんか最近多いなあ。こんな手触りの柔らかな、とってもナマ温かい、観ていて気持ちよくなるような、そのまま寝転んで、のんびりしたくなるような映画。

 いえ、決して睡魔が襲うわけではありません。気持ちよくって、懐かしい触れ合いの存在する「時代」に連れ去ろうとする映画なだけです。

 出てくる町並みの風景は懐かしく、室内の佇まいは70年代風でさらに懐かしく、否が応でも心はタイムスリップしてしまいそう。学生の頃、よく泊めてもらった西糀谷の友達のウチが、こんな雰囲気だったんで、つい思い出します。

のんちゃんのり弁2.jpg いろいろなタイプののり弁が、どれもとても美味しそうです。出て来る人も悪人はいないし。みんな優しくて小西真奈美演じる小巻ちゃんを、なんとか助けてやろうと神経を使ってくれる人ばかり。

 甘えの気持ちがあったら、そこに点けこんで来て、さらに甘ちゃんにしてやろうといった大人たちです。

 そんな慌てて大人にならなくてもいいよ。ぼちぼちのんびり、大人になればいいんだから・・・。と、周りの人は言わないけれど、映画自体は言ってる感じ。

 ふところのあったかさに、なんかそう思っちゃう。そうだよね、そうなんだよねって、こっちまで優しくなっちゃう作品です。

 でも、置いてきぼりの「のんちゃん」は、どうなっちゃうんだろう? 大丈夫、とっても優しい人たちに囲まれて、のんちゃんも、きっとすくすく幸せに成長するんだろうなあ。きっと小巻ちゃんより、しっかり者に育っちゃうんだろうな、なんて、余計な想像までさせてくれる映画です。

 そういえば、こんな感じの映画って、きっと昔(60年代ぐらいのプログラム・ピクチャー?)はたくさんあっただろうなあなんて、しみじみ思ったりもするんだけれど・・・・。



『のんちゃんのり弁』


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『キャデラック・レコード』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

キャデラック.jpg
 チェスレコードといえば、私にとってはチャック・ベリーの名前がすぐ浮かんできます。ブルースというより、ロックンロールのイメージです。

 私が最初に買ったチェスのレコードもチャック・ベリーでした。しかし、その時点でもかなりのオールディーズだったことは確かで、とりあえず持っていたかったという程度の興味でした。

 で、チェスレーペルの初期を支えた人がマデー・ウォーターズという捉え方なんで、さらに古いアーティストというか、オールド・オールディーズというか、クラシックな存在って感じでした。

 マディー・ウォーターズ イコール ボトル・ネック、ブルース 。かなり土臭くて、惹かれるんだけれど、イマイチ、真っ先に聴いてみたいってアーティストではありませんでした。

 実は、相当あとに(1990年ぐらい)なって、50年代のアメリカのカートゥーンを見ていて、使われていたマディー・ウォーターズの「フーチークーチーマン」を、再認識したぐらいです(オイオイ) 。


Muddy Waters-hoochie coochie man Newport 1960


 さて、映画『キャデラック・レコード』ですが、そのチェスレコードの盛衰を、時代の音楽とともに描いた作品です。

 かなり適当に省略され改変され、脚色されていますが、当時のヒット曲が次から次に流れてきて、とても楽しく音楽を聴きながら、チェス・レコードと米国の音楽の歴史を、さらっと知る事が出来ます。

 とにかく、楽曲がいいから、ホント楽しめます。

 でも、マディー・ウォーターズのイメージが変わっちゃったよ ^_^;

キャデラック2.jpg まあ、R&Bチャートで1位になったからって、当時、殆んどの白人たちは無視を決め込んでいたんで、ローカル・ヒットのようなものだったんでしょうけれど、ポップ・チャートを席巻するようになれば、話は違ってきますよね。確かにチェスは新しい音楽を切り開いたレーベルですよね。

 実際の当時の映像って、たいして残っていないのも、このチェス・レコードのアメリカに於ける位置だったりするんで、今頃になって歴史を再構築(?)という気も、しないわけではない。(^_^;)

 しかし、見て損はない作品だと思うし、それなりの役目は果たした作品だと思います。

 そうそう、ビヨンセが出てます。ビヨンセがビヨンセのまま、エタ・ジェイムスの役をやってます。それはそれで、納得しちゃあいけないかもしれないけれど、納得です。(^_^)

 エタ・ジェイムスのイメージも変わっちゃったかなと思うと、それが不思議とそうでもない。薄幸の美人シンガーというイメージにはならなかった。やっぱり役者さんって、いろいろな意味で、すごいなと思います。



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『ポー川のひかり』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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【あらすじ】 イタリアの古都・ボローニャの大学で、大量の古文書が太い釘で打ち抜かれる事件が発生する。容疑者として浮上したのは、将来を嘱望されていた哲学科の主任教授(ラズ・デガン)。彼は前日の学年末授業を終えた後、忽然と姿を消していた。警察が捜索を開始した頃、教授はあてもなく車を走らせていた。やがて車も身分証も捨て、教授は雨宿りをした川岸の朽ちかけた小屋に住み始める。郵便配達の青年ダヴィデやパン屋の娘ゼリンダと知り合ったのをきっかけに、親切で素朴な村人たちと交流を深め、生きる喜びを再び見出す教授。だが、港の建設が計画され、ポー川の静かな暮らしに大きな変化が訪れようとしていた。

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 どこか懐かしげな、この作品はいつか観た映画を思い出させる。

 これといって何か1本、タイトルが浮かんでくるわけでもないのに、過去に観た映画の断片が繋ぎ合わされて作られているような、錯覚を覚える。

 エルマンノ・オルミ監督は、かなり老齢のはずで、枯れた穏やかな作品を作りそうな気がするし、実際『ポー川のひかり』は、そんな映画だと思う。

 けれど、作品の底に流れているのは、かなりエネルギッシュなものでもある。ネオリアリズモの時代から、映画を作り続けている、なんて聞くと変に納得してしまうんだけれど、ちょっと私にも先入観みたいなものがあるのかもしれない。

 作品の土台はキリスト教という、根っこの部分に関する「思い」なんだろうし、そこから広がっていく生きるという事に対する「思い」なんだろうなあ、と簡単に解釈してしまうのは、危険かもしれないのかな。

 しかし、映画の流れは、冒頭の「古文書釘打ち事件」の緊迫感のある描写とは、真逆の静かでゆったりした色調へとあっさりと転換され、いつのまにか作品を支配しているのは「ただそれだけ」の、生活の営み。

 そう、お話は何気ない人々の日常描写へと呑み込まれていってしまうのだ。たしかに、それなりに事件は起こるのだけれど、監督の広げた腕のなかで、観客ものんびりと「お話」を楽しむといった位置にいる事に安心したりする。

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 懐かしがって観てはいけないのかなと思いながら、それでいいんだとも思わせる不可思議なここち良さは、やはり枯れた監督の手の内なのかもしれない。

 村人から「キリストさん」と呼ばれた主人公が、俗世間(学問としてのキリスト教?)と決別するように、持ち物をポー川に投げ捨てるシーンがあるのだけれど、現金とかクレジットカードとか、そこらへんはしっかりと残しているところが、この作品の「したたかな」ところであり、「生きる」ということへの「したたかさ」なんだろうな、と私は感じた。ほのぼのとしてるけど、生きることへの真面目さを詠った映画なのかも。

 余裕があるときには、こんな映画もいいよね、って言ったらマズイかな。

 私の大好きな「Le colline sono in fiore(花咲く丘に涙して)」が、劇中ほんの10数秒ハーモニカで流れてきて、かなり嬉しかったです。映画館からの帰り道、ずっと口ずさんでいました。(^_^)



 



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『マーシャル博士の恐竜ランド』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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 B級の胡散臭い香りが、ある意味、観る人を選んでしまっているような気がするけれど、やはり、その通りの映画だった。

 さて、内容は、「タイムワープと異次元世界の可能性を信じるマーシャル博士だったが、学会で学説を馬鹿にされ、落ち目の一途を辿っていた。そんなとき、彼の学説を支持するケンブリッジ大学の才女ホリーが現れ、彼女の励ましのもとタイワープ装置を完成させるのだが……」、作品の大部分は、この装置を使って移動した、不思議な世界での、ハチャメチャ、オフザケな冒険がメインになっています。


 で、B級と書くこと自体、私自身かなり、この作品を持ち上げているような後ろめたさを感じる。ぶっちゃけた話、C級でもD級でも、どうとでも呼んでという開き直り全開の作品だったりする。

 お話は、SFちっくな何でもありの展開なんだけど、昔と違ってCG処理技術の目覚しい発達で、視覚的には本格ぽい仕上がりになってしまっている。

 ここは残念ながらと、言うべきなのかは迷うけど、本気のCG処理を全うしてしまうと、作品のアイディンティティに関わる問題なので、製作者サイドも承知のうえで、そんなバカなという「手」を随所に鏤めて、作品のB級以上への変身を、阻止しようと頑張っているのが、この作品の見どころといえば見どころなんだよね。

 私には気付かないパロディとかもいっぱい盛り込まれているとは思うけど、殆どわかっていないかも ^_^;

マーシャル博士2.jpg


 とにかく、ゆるいくだらなさを、笑える心が必要なのかもしれない。 純真なこころより、見るものすべてが?の、子供の頃の感覚でね。

 まっ、全く頭を使わないで、おバカになって楽しめる作品なので、その点では限りなく期待通りだし、人間以外のキャラクター作りが、マヌケを前提としているので、作品の足を引っ張って、低いところでのバランスが絶妙に取れている感じがする。

 どちらかといえば、往年の米国SFテレビドラマのパロディが根底になっているんだろうなあと思っていたら、実は1970年代の米国テレビドラマ「The land Of Lost」の映画化作品だった。

 オリジナルは、YouTube にも動画があるんで確認できるんだけど、いかにも、テレビ的な特撮が時代の雰囲気とともにいい味を出しています。子供の頃見たら、印象に残るだろうし、謎の宇宙人・スリースタックとかには怖さも感じたでしょうね。

 90年代にもテレビでのリメイクが存在するようなので、かなり親しまれたシリーズのようですね。調べてみると、フィギュアも存在するみたいだし、想像以上に愛されたカルトなテレビ・ショー (?) みたいです。

 オリジナルは、真面目な(?) SF冒険ドラマって感じなので、映画化するには独特の宇宙人キャラを生かすため、コメディとして再生するしかないと考えたんでしょうね。

 ウィル・フェレルが愛着を込めて、コメディ・アドヘンチャーSFに仕上げた作品というのが正解かもしれないと思います。

 映画のほうは、突然、シールズ&クロフツの名曲「サマー・ブリーズ」が流れたりするのも、テレビドラマが作られた時代へのオマージュなんでしょうね。エンド・クレジットで流れる音楽も、「宇宙家族ロビンソン」や「タイムトンネル」なのかなって感じのフレーズが盛り込まれていて、かなり、くすぐられました。

 たまには、こういう映画もいいですよ。昔、3本立てなんかで夏休みとかに観た「怪獣映画大会」とか「ホラー映画大会」に混ざって上映されていた、お目当てじゃないオマケみたいな映画ってのも。(^_-)-☆

 こうして感想を書いてると、気持ちがあの時代にタイムスリップしていきます。タイトルさえ覚えてないけど、観たという感覚だけは残っている、オマケの映画たちの時代へ。
   




『マーシャル博士の恐竜ランド』


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『カムイ外伝』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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 それなりに、面白く観れたんで安心しました。(^^ゞ

 まっ、今年の5月には既に劇場でスポットを流していたんで、さぞかし娯楽アクション大作かと思っていたんですが、ホドホドのスケール感とホドホドのアクション、なんか肩透かしを食わされた気もしないわけではないけれど、ホドホドにまとまった、ホドホドに面白い映画でした。^_^;

 「忍び」独特の、疾走感溢れるアクション・シーンは、かなりCGに負うところが多いので、否が応でも原作が「まんが」である事を思い知らされます。

 結構、頑張っているとは思うんだけど、何故か私の目には、次第に劇画ちっくではなく、マンガちっくに、見えてきてしまい、ちょっと苦笑寸前まで行ってしまったのは、残念というか悲しかったです。違う方向で膨らませて欲しかったんですが・・・ね。

 アメコミの映画化みたいなものだと思えばいいのかな、とも考え直して・・・・、いや、それじゃマズイでしょって、気持ちがなかったわけではないんだけれど。

 なんで、このエピソードなんだって、いうのはかなり気になりました。で、映画冒頭の説明はいらないし、ナレーションもいらないし、なんで、こんな作り方するんだろう、というのも感じなかったわけではない・・・、やっぱりアメコミの映画化と同じ路線の延長上で、企画されちゃったのかもしれないなあ。

カムイ2.jpg


 唯一救いは(オイオイ)、この監督さんが、1960年代の日本映画独特の「質感」を持っているってわかったこと。それも、娯楽作とかじゃない作品群が持っていた「質感」なんですね。

 意図的ではないと思うけれど、かなり匂っています。きっと、演出上から考えれば、どこか異質なものなので、排除されるべきものなのかもしれないけれど、その匂いが私はなんとも嬉しくて、観てよかったなと思ってしまいました。




『カムイ外伝』予告

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『わたし出すわ』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

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 こういう作品に出会うために、私は映画を観ているんだなって、素直に嬉しくなりました。まさにこんな作品が私は大好きです。

 『わたし出すわ』 という映画は、答えがいっぱいあって、どこに拠り所を求めたらいいのか、迷う人がいそうな映画なのかもしれません。

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 場内が明るくなったとき、隣に座っていたご夫婦だと思えるカップルの会話が聞こえてきました。男の人は「わけがわからない映画だな」、連れの女性は「お金も使い道が大切なのよって、いう映画でしょ」と話していました。

 きっと、どちらも正解だし、でもそうじゃないかもしれない映画。そういう意味では、滅多にお目にかかれない作品なんですね。

わたし出すわ2.jpg

 確かに、この映画は、お金についての、人生についての、人との関わりについて描いた作品なのかもしれませんし、余りに淡々とした出来事の羅列に、何を言いたいのかわけがわからないという人もいるかもしれません。

 お金をばら撒く山吹摩耶という主人公が、何を望んでそんな行動を取ったのか、映画を観終われば、それなりに理由も明らかにはなるし、登場人物たちもそれぞれ収まるところに落ち着いて、作品はエンドクレジットを迎えます。

 けれど私には結末は単なる箸休めみたいなオチに、感じられました。映画は、まだ終わっていないというか、観客は宿題を持ち帰らなければならないような、気持ちにさせます。

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 気が付いてみれば、余りにシンプルな「お話」だったりするのだけれど、反面、多くのことを含んでいて、解釈は観る人の判断に委ねるような、作り方をしていたりします。

 私は山吹摩耶というキャラクターに、「堕ちてきた天使」の「いたずら」を感じました。彼女がした行為は、周りの登場人物たちを試すみたいな「いたずら」、そして、観客をも「いたずら」で煙に巻こうとします。

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 ラスト、彼女が小さく纏まった結末へと吸い込まれていく姿は、なんとも象徴的に、私の目には写りました。

 実際、この映画の解釈にも正解は無いし、人生にも正解は無い。だから生きているって、面白いんだって、素直に思いました。

 監督は、とっても冷ややかに、観客に「いたずら」を仕掛けたのかもしれません。

 彼女が差し出す金額が、余りにとんでもない額であるゆえに、観客を混乱させ、不安を感じさせる。「いたずら」にもほどがある仕掛け、というか一種のファンタジーの域にも届いてしまいそうな「お伽噺」。

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 私は、ゆったりとして静かに、観客を迷わせる作品が好きです。きっと、監督はスクリーンの後ろで舌を出してニヤニヤしているのかもしれません。


「わたし出すわ」を観る前に

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『色即ぜねれいしょん』 (2009) [映画 (2009 鑑賞作品)]

 久しぶりに気持ちよく映画を楽しめたのが、『色即ぜねれいしょん』でした。

 監督の軽妙な語り口が、なんともここちよくて、映画を観る楽しさにいわば酔わされてしまった感もあります。

 1970年代の高校生の青春を描いた作品で、微妙に時代のズレはあるはずなのに、かなり素直に受け入れられたのは、きっと監督の演出や進行が、ピタッと私の感性にハマってしまったからなのかもしれません。

 どちらかといえば映画『20世紀少年』に描かれたもののほうが、近しいはずなのに、あまりにスムースでソフトな映画の感触に、乗せられてしまったような気もします。

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 確かに、主人公は文科系と言えど、かなり行動派だし積極的ですし、環境も恵まれています。

 せめて、このぐらいの冒険とか、経験はしたかったなあ、なんて、ちょっと自分とは違った「夏」を青春した主人公に、擬似的に共感したいって思いが、心の底にはあったのかもしれません。

 ふと、観た後浮かんできたのは、森谷司郎が監督した東宝の岡田 裕介もの。主人公はかなり違うけれど、なんとなく共通している気がします。幸福な、悩める青春映画って、感じかな。

 この映画の売り物というか、「掴み」の部分を担っていたのが、峯田和伸が演じるヒゲゴジラ、岸田繁演じる家庭教師、そしてオリーブを演じる臼田あさ美。キャスティングが絶妙です。

 この3人との出会いが、平凡な夏を特別な夏に変えてくれたわけで、演じている役者(?)さんたちの、魅力に負う所が大きいと思います。その点で、かなり成功していると思います。

 そして、ホンワカした映画の雰囲気を支えているのが、理想的な家族と言うか、主人公との距離感が異様にここちよい両親の存在。リリーフランキーも堀ちえみも、なかなか絶妙な味を出しています。

 役者さんたちみんな、ちょっと素人ぽいんだけれど、そこがいいんだよなあ。ホント、登場人物たちが、まるで作り話みたいに(?)、ステキです。

 ウソっぽさのギリギリのところで、こちらにしがみついてくる「ねっとり」というか「まったり」な「らしさ」に、ついつい、身を投げ出したくなってしまいました。

色即2.jpg


 あれっ?、自分もかなり甘ちゃんだなって、今更ながら気付きます(オイオイ!) (^^ゞ

 「いい映画」って、やっぱいいよね。って、マヌケな言い方ですが、素直にそう思える作品でした。







映画「色即ぜねれいしょん」予告

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